世間と空気

数週間前に佐々木俊尚氏というITジャーナリストについての情報を探して偶然に「space journal」というウェブジャーナル(グループブログかな?)をはじめて見てかなり感心した。g86という4人の東工大建築学科3年生の学生が「主にインタビューをし、その内容と共に論文のようなものを添えて発信していく」という目的で、今までは10つのインタビューをして、それをテープ起こしをした。

まずそういうことはだいぶ時間がかかるよね。数か月の間に10つのインタビューをするというのを最初に見たときはビックリした。すごくない?で、今まではその中の佐々木俊尚氏の一つのインタビューしか読んでないけど、佐々木氏の話がすごい興味深い。というわけで、確かに他のインタビューも面白いと思う。是非見てご覧ください。

佐々木氏のインタビューの中の一番面白い部分は特に最後のほうで、『空気感』と『世間』というそもそも興味を持っていた言葉のこの話だった:

佐々木氏—最近注目しているのは「空気感」というキーワード。インターネット上にある「空気感」はその中にいる人間にしか可視化されていない。それでは、サークル外の人間はどうやって可視化していくのかっていうことは重要な問題なんじゃないかと思いますね。ブログってそこがある程度可視化されているような気がしますね。テキストの形式でみんな顔文字なんかも使ったりして。それでもう一段階ですよね。行間から滲みでるような何かを作って、それが言語なのか記号なのかよく分からないですけど、それによって可視化されるものには可能性がありますよね。それはブログだけじゃなくて、それこそ空間だとかメタバースとかそういうものも含めて、そこに漂っている空間をどうやって可視化していくのかっていうことは重要だと思います。できれば「空気感」さえ検索可能になればすごくいいですよね。

この一節を次の英語の文章に翻訳した:

Sasaki: Recently, I have been paying attention to the keyword “kuukikan” (”sense of air”). This “kuukikan” on the Internet is visible only to people who are inside it. The problem that I think is then very important is the question of how those outside this circle of people can begin to visualize [the “kuukikan”]. Blogs, I have a feeling, are [places] where to a certain degree this is being visualized. Using emoticons all from the form of text, this is one more step. Creating things which seep through the lines of text — they can be words or symbols, or whatever — but there is the possibility of something being visualized through them. What is important I think is how to visualize the atmosphere that hangs in these places, not only blogs but precisely these kinds of spaces, metaverses and so on. I think it would be fantastic if only it became possible to search the “kuukikan”.

まぁ、確かに英語の「sense of air」という表現は「空気感」の意味をあまり通じないかもしれないけれど、それでもとにかく何となく日本語のできない人々に佐々木氏のこの話を紹介したかったので英語に翻訳したね。

なぜ特にこの部分を伝えたかったというと、僕は一年前から日本語のレベルが進んできたとともにこういう微妙に面白くて説明のできない日本語と外国語(つまり英語)の深い違いについては気になって、例えば柳父章氏の「翻訳語成立事情」などの本を読んで、確かに日英の翻訳の視点から見ると言語というのは思ったより複雑な概念だ。

というより、翻訳自体が複雑だ。『空気』というのをどういうふうに訳したいいのだろうか?で、『世間』は?『society』とは違うでしょう。

とにかく佐々木氏の話の中の特に印象に残ったことは彼のブロガーについてのこの説明だった:

僕にとってジャーナリズムっていうのは時代の「空気」をいかに言葉として定着させていけるかどうかっていうそこのトライアルの連続ですね。

英語の翻訳は:

For me, what is called journalism is the continuous attempt to somehow fix in words the “kuuki” of the era.

なんとなく素敵な言い方だと思うね。僕もそういうジャーナリズムをやってみたいなー。